今、あなたのおかれている状況は後悔の念に押しつぶされ、どうしてよいのか迷いのさなかにいることでしょう。先ずは懺悔告白いたしましょう。誰にも話せない心の中に残る思いを全て仏様の前に吐き出しましょう。申し訳ないと思う気持ち、どうしようもなく、やるせなく、ずっとどこかに引っかかっている罪の意識と向き合い、深く深く反省するのです。先ずは己の浄化です。懺悔の方法は観寧寺がお手伝いいたします。どうぞお参りください。
すべては懺悔から始まります。懺悔は単なる反省ではありません。それは自分が犯した過去の悪業を浄化し、受けるべき苦しみを大幅に軽減する唯一の方法です。浄化とは穢れた状態を清浄にするもので、欲や煩悩=「魔」も穢れの一つです。
「魔が差す」という言葉があります。一般的には、<悪魔が心に入りこんだように、一瞬判断や行動を誤る。出来心を起こす事>と意味づけられていますが、まさに己が悪魔に負けた瞬間です。
「魔」の語源は仏教の魔羅(悪魔)を意味し、その性格は人間の善事を妨げ、聖者の法を憎み様々な手立てもって出世を志す修行者を誘惑し堕落せしめるもの※と言われています。類義語には「出来心を起こす」があげられますが、この場合の出来心とは、理性的ではない心がつい起きてしまったことで、元来そんな悪い人間ではないのになぜか善悪の判断ができなかった、というところでしょうか。
一方、魔が差すの対義語は「克己心」です。その意味は、一時の欲望や感情に流されることなく、理性と判断力をもって弱い自分の心に打ち勝つ心を言います。つまり、魔に打ち勝つのは己自身でしかないのです。普段から克己心を鍛えていれば不意に魔が訪れても、甘い誘惑を蹴散らし冷静な気持ちを保つことができるのです。私たちは二度と愚かな行動に走らぬよう、この克己心を常に持っていなければなりません。しかしながら人は弱くもろいものです。強い自分を保つことは簡単なことではありません。迷っているようであれば観寧寺にお参りください。カウンセリングの後お札をお渡しいたします。
懺悔供養・祓いについて
医者には何ともないといわれたけれど、頭が重い、肩が痛い、部屋の中で変な音がする、なんとなく違和感を感じる、と言った症状が出ているのであれば、それは霊障・障りかもしれません。もしかするとあなたが傷つけた相手からのサインかもしれません。または己の心の弱さが引き起こした妄想の障りかもしれません。その場合は懺悔と同時にご供養及びお祓いが必要です。観寧寺では懺悔供養として障りを起こす霊たちの供養もいたします。まずはお話をお伺いし、供養を致します。懺悔供養▪祓いにはご本人様の念が重要です。信じる者は救われる。懺悔供養、浄霊供養は横浜観寧寺にお問い合わせください。お寺に来られない遠方の方はご相談ください。
浮気懺悔
浮気は人の心に入り込む最も顕著な邪気です。魔が差す典型的な例は浮気です。もともと精神的に弱っている人が陥りやすく、その代償の大きさに更に精神的苦痛を感じます。そこから脱したいのであれば、一度すべてを吐き出しましょう。リセットしましょう。
※仏教辞典