今を楽しめば未来が変わる。未来は、今の延長線だし、今は過去の延長にあるの。だから大事なのは、今、今、今なのです。過去のしたことに悔やんでも今は何にも変わらないし、先の事を心配しても今は何も変わらない。自分が変わりたければ今何かをすればいい。
「今、ここ、私」過去を悔やむより、未来を憂うより、今、ここで、自分にしかできないことをやりなさい。
先人は、いろんな言葉を使って迷いの人に道しるべを伝えてくれてるのにね。
今を楽しめば未来が変わる。未来は、今の延長線だし、今は過去の延長にあるの。だから大事なのは、今、今、今なのです。過去のしたことに悔やんでも今は何にも変わらないし、先の事を心配しても今は何も変わらない。自分が変わりたければ今何かをすればいい。
「今、ここ、私」過去を悔やむより、未来を憂うより、今、ここで、自分にしかできないことをやりなさい。
先人は、いろんな言葉を使って迷いの人に道しるべを伝えてくれてるのにね。
我日本の柱とならむ
我日本の眼目とならむ
我日本の大船とならむ
<日蓮宗から>
今日のご相談の方は、とても仏性の強い方でした。お若いのに周りの事ばかり気にして、ご自分の幸せは二の次というお方でした。この世のものの中には仏性が備わっています。仏性とは自らが持っている仏の心の事です。それを発動しているか否か。今日の方は無意識に仏性が発動していました。こういう方は、たいがい良い方に恵まれます。人が人を寄せるのです。善人には善人を、悪人には悪人を。仏さまは見ているのですね。ちゃんと見返りを授けてくれているのです。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
ノ野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
お位牌は春日型が基本でしょう…と思われていませんか?ひところ、春日タイプのお位牌以外はペット用のものというイメージが強かったと思います。が、今やとても多様なお位牌がたくさんあるのです。ご供養を頼まれた施主様のお位牌を見てみますと…それはそれは素敵なお位牌なので驚きました。モダン位牌、クリスタルな夫婦位牌、カリモクの繰り越し位牌・・・・・・・(画像をお見せ出来ないのが残念ですが)型にはまらず、自由な感覚でお位牌も変化してきています。でもその根底には、故人を偲んで追悼したいという気持ちがあります。これこそ本当の供養です。供養するならば自分の気に入ったものを置きたいですよね。実際の画像を見たい方は、どうぞお寺にお越しください。
古代インドでは、女性の地位が非常に低く、仏教経典にも女性差別の文言が多くみられる。でももっと古い仏教では男性女性の差別は見られないようだ。これはお釈迦様が男尊女卑を解いたわけではなく、その後の教団の分裂過程により、女性の社会的地位がそのまま反映されたものと思われる。その後、救済処置として、女性のままでは仏に成れないので、男性に変性して成仏させるというおかしな考え方が出てきた。
日本では、古代仏教においては、僧も尼僧も対等の立場にあり、変な差別はなかった。しかし家長制度や男子優生のような社会的変化によって、女性に対する差別待遇が始まり、仏教的女性差別観が貴族社会に拡がったようだ。そして救済措置として男子変性説による女性の成仏が展開されるも、同時に女人禁制や女人結界などというこれまた失礼な行いがなされていたのである。そして平安時代には女性に対し、差別と救済の二面の意味を持つ女人成仏という考え方が出てきたのである。鎌倉仏教で女性に対する差別をなくす方向性も見られたようだが、室町時代には、またもや女性の地位低下が進み、女性は不浄だなる考え方が台頭し、女性に対する仏教的差別はますます強くなったのである。
男性はいったい誰から生まれたんだ…と考えてみれば女性に対するぞんざいな扱いは全く理不尽だ。
お釈迦様はそんなことは絶対言ってないと思う!
「女の人は目標があると強い。漠然としてると自信がなくなる。」大石静・あさいちより
…たしかに。でもこの目標って、家のこと、子供の事、仕事の事だったりする。女の人って周りのことばっかり心配して、自分の事は後回しだから、いざ自分の事となるとはて?となるのよね。。
「人を見て安堵したり、自分の身に起きた事と比較したりするのはやめろ。何か抱えてる奴はどっかしら生きるために無理してる。どうってことないふりをしてごまかさないとやっていけないことがある。」NHKドラマ・寅に翼より
比較(差別)して自分を保とうとする癖がつくと、すべてに自信がなくなり、物差しが自分でなく他人になってしまう
…でもたまにはしかたないでしょう?(しうん)
と教えてくれた人がいた。でも本当に弱っている時は一つも付け足すことができないのです。それをわかってあげられる人に私はなりたい。
相談するならば、やったことのない人には相談するな。批判しかしないよ。
相談するなら、経験者に聞け。やったことがある人にしかわからないアドバイスをたくさん持っているよ。